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 伊予の国へ 6〜7日目
四国は弘法さんの里
 私の父は明治の生まれ。17,8歳の頃村の青年同士数名で歩き遍路の苦行をしたと聞きました。そのような風習もあったようです。亡き父の里の門前に間口一軒程の大師堂があり、弘法大師と杖水の伝説があります。

 私は同行二人。いつも守っていただいているのはお大師様と守護の不動明王。年を喰うにつれ、少しずつ素直な気持ちで寺社に手を合わせる事が出来るようになったのではないかと思います。まあ四国は殆どが南無大師遍照金剛と唱える高野山真言宗の門徒でしょうから、摺り込まれているのです。
三十九番 延光寺
まだ高知県です
三十九番 延光寺 本堂大師堂
四十番 観自在寺

ここから伊予の国
四十番 観自在寺 
四十番 観自在寺 本堂
四十番 観自在寺 大師堂
四十番 観自在寺 文殊堂
四十一番 龍光寺 本堂

納経のとき軸の巻き方、差し出し方など説教、いやお教えいただく。 後から聞いたが教え魔?で有名だそうだ。

でもお寺の住職さんで教訓を垂れない坊さんています?。法事のあと、どちらの坊さんもほう〜と思ういいことおっしゃるじゃありませんか。いまどき相手に何か気に障ることは言わないほうが。と言う世相ですから味があっていいじゃ、ありませんか。
四十一番 龍光寺 大師堂
同居の神社
四十二番 仏木寺

 立派な山門
四十二番 仏木寺 本堂と大師堂
萱ぶき鐘楼

山のお寺の鐘が鳴る〜♪
四十三番 明石寺
四十三番 明石寺 本堂
四十三番 明石寺 大師堂
四十五番 岩屋寺

確か山門の全景が撮れなかったような記憶が。
四十五番 岩屋寺 本堂

がっしりした2本柱の向拝が印象的後世になって立て替えられたそうですが、立派な建造物だと思われます。もうすっかり根を下ろしてなじんでいます。
四十五番 岩屋寺 大師堂

向拝は自分としては唐様より本堂のような和様がなんからしさを感じ好きである。

あ!ここで錦のお札をいただきました。
いや、勝手に頂戴したのですが賽銭箱の網に載せてあったのです。どうぞといってるように。なんと174回香川県の方。どんな人生を歩まれた方なのか興味があります。
四十四番 大宝寺 本堂

こちらの本堂も向拝が和様で奉納のちょうちんがぶら下がっていると神社か?と見まがうのは私だけですよね。
四十五番 大宝寺
大師堂?
四十五番 大宝寺 観音堂
浄瑠璃寺へのショートカット

浄瑠璃寺門前のホテル長珍屋で宿泊。仏木寺で知合った香川県のYさんと前後して同宿となった。それまで営んでいた、うどん屋さんを年齢の為廃業されたそうであったが、岩屋寺の急坂を駆け上がったのには恐れ入りました。

100枚程用意してきた般若心経の写経が切れてしまった。睡眠前に書こうとしたが1枚が精一杯。あきらめてコンビニでコピーすることにする。
 伊予の国 6日目  6月8日

浦島太郎でした
 昭和59年、足摺岬の民宿で宿泊しましたが、昭和59年、妻子をつれて、足摺、竜串海岸を一泊旅行しました。その折、宿泊したのと同じ民宿だったのですが、現在は素泊まり営業のみ、どうにか営業を続けている感じでした。あの当時の活気あふれるご夫婦とはあまりの違に以前宿泊したとは言い出せませんでした。自分も同じく年を重ねているのを棚に上げて。この日も二十数年前に住んでいた、松山市内の住居などを訪ねましたが、突然なので知り合いなどは訪ねず、車で素通りするだけでした。

四十六番 浄瑠璃寺

6:24 薄曇り。良い天気が続く。

ちょうちん屋旅館で宿泊。佛木寺当たりから顔見知りとなる老人と同宿した。彼は讃岐でうどん屋をリタイヤしたという。80歳近くだそうな。うどん屋の名前は聞かなかった。

早朝7時の納経所が開かれるまで一緒に八坂寺の両方境内を散策。
四十六番 浄瑠璃寺 本堂
四十六番 浄瑠璃寺 大師堂

御夫婦だと思う。御主人は正装しているのに奥様はなぜ?

私方夫婦も似たりかも知れない。一緒に廻っているだけでも違いを感じる。
四十六番 浄瑠璃寺

いちいの木
四十七番 八坂寺

浄瑠璃寺から歩いて数分で到着

ここで記念写真をお互いに撮り、Yさんと別れる。
四十七番 八坂寺 本堂
四十七番 八坂寺 大師堂
四十八番 西林寺

田んぼの真ん中というか今は市街地
四十八番 西林寺 本堂と大師堂

本堂の右側にこじんまりと大師堂がたたずむ。左側に大師堂の場合とかL型とかさまざまで定石はないみたい。大きなお寺だと大師堂はどこか、納経所はどこか探すことも度々ある。
四十八番 西林寺 遍照殿
四十九番 浄土寺
四十九番 浄土寺 本堂
四十九番 浄土寺 大師堂
五十番 繁多寺
五十番 繁多寺 本堂
五十番 繁多寺 大師堂
五十番 繁多寺 本堂と大師堂
繁多寺門前から松山城の城山

この町に転勤し3年半家族と共に暮らす。松山の町は過去に住んだどの町よりあらゆる点で良かった。池も印象に残っている。

新居浜と合わせて6年あまり愛媛県で暮らした。
五十一番 石手寺
五十一番 石手寺 本堂
五十一番 石手寺 大師堂
五十一番 石手寺
五十一番 石手寺 無量殿
松山市内電車

市街地は20数年前とほとんど変化が無い様に思う。この電車は新しい。
五十二番 太山寺

山門を見ながら右の道をさらに奥の駐車場へ
五十二番 太山寺

中門か正門か知らないがこちらが立派枡の数が違う。張り出した軒。二層のやぐら。
五十二番 太山寺 本堂
五十二番 太山寺 遍照殿
       (大師堂)
五十二番 太山寺
鐘楼
五十三番 円明寺
鐘楼門

近くのデンキやさんによく来た。全くの平地。門前町となっている。
五十三番 円明寺 本堂
五十三番 円明寺 大師堂
五十三番 円明寺 観音堂

お堂に超接近した民家が気になる。

高知でも似た景色を目にしたが創建時からの歴史から生まれたのだと思うがどうにかならなかったのか、あまり見たくない風景です。
伊予灘

松山ともお別れ。二十数年前にこの近隣の寺は周っている。65番三角寺までは大体記憶と違わない。歴史を経ても寺は変わらないのが一番。

自分が住んでいた周辺などは建物が無くなっていたり、全く以前のままだったり、さまざまでした。この道も北条や今治へ往復した、馴染みの道です。海が見えるレストランで食事をしたものです。レストランは激減していました。
広島へ転勤の時もこの道を走り、家族を乗せて今治からフェリーに乗りました。
五十四番 延命寺 山門
五十四番 延命寺 中門

ここ今治には六ケ寺ある。
五十四番 延命寺 本堂
五十四番 延命寺 大師堂
五十五番 南光坊
五十五番 南光坊 本堂
五十五番 南光坊 大師堂

写真にはないが、ベンチで休んでいる近所のお年寄りとしばらく話をした。どこから来た?歩きか?何日目?大体いつも同じ質問に逢う。街中の公園という感じ。
五十六番 泰山寺

23年前とは本堂大師堂以外外塀も含め全て立て替えられていました。正面は普通の豪勢な家の居宅みたい。
五十六番 泰山寺 本堂
五十六番 泰山寺 大師堂
五十六番 栄福寺 本堂
五十六番 栄福寺 大師堂
五十六番 仙遊寺 
五十六番 仙遊寺 本堂
五十六番 仙遊寺 大師堂

こちらで今日の打ち止め。宿泊は今治駅前のビジネスホテル。

着る物がなくなり洗濯する。
 伊予の国〜讃岐の国 第7日目  6月9日
愛媛県は南予、中予、東予におよそ区分されます。

 松山市、新居浜市でそれぞれ3年ほど住んでいました。同じ県内でありながら相当違った面を持つ。新居浜は労働者の町のイメージ。松山は県都。南予はみかん畑と漁業、おだやかなひとたち。しかし、西条や新居浜は少し、違っていた。私のいた頃は住友系の企業城下町であった。しかし最近その隆盛に影を落としている。別子銅山が栄え、やがて銅やアルミの精錬や重機械の生産に沸く頃は四国一の賑わいがあった。

 別子には林業が復活しつつある。いまでも東予は四国有数の工業地帯ではある。今治はタオル工場や繊維商社が軒を連ね、海岸には造船所が活況を呈していた。

 大島、大三島、伯方島。桜が咲き、みかんの花が咲くおだやかな海。仕事ではあったが、1980年頃、働き蜂の束の間の休みを楽しんだものである。 松山は日本一住むのに適した県だと今も思う。
五十九番 国分寺

6:12
何故か毎日朝早く目が覚める。駅前のビジネスホテルを5時半出発。多少道に迷うが6時過ぎに到着。周辺をうろつく。
 天に昇る様な階段、坂の上の雲。なぜか記憶が鮮明に残っています。

自転車遍路の方、歩きの方と雑談をする。自転車遍路の方は別格二十霊場も同時に周られており、パンフレットまでいただく。門前駐車場で野宿をしてた。野宿の場所の探し方など教えていただく。水とトイレがあり、雨が防げる事とのこと。ひげ伸び放題、短パンすね毛むき出し、頭髪は延び放題、後ろで結わえた格好。結構こんなスタイルのお遍路を何人も見かけた。
五十九番 国分寺 本堂

今日で7日目。早朝に訪れても各伽藍を眺めたり、書き物などをゆっくり読んだり、7時からの納経時間まで時間つぶしに困る事は無い。

何より静寂な寺域内は気持ちが落ち着く。
五十九番 国分寺 大師堂
六十番 香園寺

本堂 大師堂、宿坊など全部この巨大な建屋内にある

趣は新興宗教の建造物。

堂内で信者数千人もの人を収容出来るそうである。
六十二番 宝寿寺 本堂、大師堂

こじんまりしたお寺。何十年も前からか正面の元本堂は工事中の風情のままだった。なんとかせねば。
六十三番 吉祥寺 山門

宝寿寺から極近く、数百メートル
六十三番 吉祥寺 本堂
六十三番 吉祥寺 大師堂
六十四番 前神寺

石槌山の霊域のひとつ。以前に成就社に参拝した。しかし、一度も石槌山には登っていない。

真言宗の寺院には回廊などの囲いは無い。禅宗系の札所は確か一ヶ所在ったか?。この画像を見て自然との一体感を感じる。
六十四番 前神寺 護摩堂?

向背の天井付近にAFをあわせシャッターを押すと屋根から青空は飛んでしまう。大師堂も同じ。
六十四番 前神寺 大師堂
六十四番 前神寺 明王堂
六十四番 前神寺 薬師堂
六十四番 前神寺

石鉄神社。前神寺の守護神社
山岳信仰で有名な石鎚神社との関係があるかないかは知らないが昔は一緒だろと思う。同じ石鎚山をご神体とするのだから。石槌?つちの字が微妙に異なるのは何故だろうか?

六十番 横峰寺

有料道路料金所。 一昨年の台風被害を修復したすぐの様でいたるところ惨禍の後が残っていた。
六十番 横峰寺
六十番 横峰寺 本堂
六十番 横峰寺 大師堂
遠くに石鎚山

横峰寺最終駐車場から見た石槌山方向だが頂上は見えなかった。
  一般国道を走る。新浜市にも3年程勤務していた。

 居住していた星原町の借家を訪ねてみた。家屋はそのままであったが、周りの風景は一変しており、家の前にあった田んぼや小川は消えていた。
周りが市街化しており、まるで浦島太郎。20数年の歳月が経過している。

勤務していた会社は当時新築したのに今は松山と統合し跡形もなく、車屋さんの展示場となっていた。
六十五番 三角寺 

昔は無かった新居浜ICから伊予三島まで高速を通る。

三角寺への道は狭く曲がりくねった昔ながらの田舎道。
六十五番 三角寺 本堂
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