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 阿波の国 1〜3日目 2005年6月3日
 昭和59年に途中まで巡拝し、休止中の四国巡拝でしたが、自由になった今、もういつでも行けると思いつつ、退職後の手続きや何かで延びていた遍路旅でした。
車巡拝ですがこれ以上伸ばすと梅雨に入ってしまうという6月3日ついに出発しました。時間はたっぷり、ゆっくり自由に気ままな一人旅です。着替えなど持参物の準備は済ませておりましたが、カーナビは無し、地図はマピオンを要所印刷したもの。
 前日の夜8時頃出発し、宇高フェリー経由、塩江街道道の駅で車中泊。巡拝用品は道程上便利な、阿波市市場町のすもとり屋浅野総本店で購入することとする。
2005年6月3日 7:00切幡寺参道沿い浅野総本店 すもとりや

先に切幡寺を参拝したあと、早朝7時に電話して店を開けていただきました。菅笠、杖、白衣、さんや袋、納経帳、納経軸、ろうそく、線香、納札、など遍路用品一式を購入。屋号すもとり屋の由来も教えていただいたのに忘れてしまいました。すみません。結願後、お盆の里帰りのついでに納経軸の表装をしていただきました。

一番寺へ順番通り気分を改めお参りする事にし、一路鳴門市方面へ高速道を走る。
一番 霊山寺

9時55分到着山門で一礼
近くの水屋で手と口を清める。

昭和59年に一度目はここから開始した。この年は弘法大師御入定1150年にあたり、遍路ブームであった。愛媛と徳島の一部35ケ寺を廻って四国から転勤の為中断したままであった。
35ケ寺の1150年記念納経印はこちらに掲載しました。
一番 霊山寺本堂

順番に本堂で般若心経を唱え、本尊真言を唱え、大師堂では真言の替わりに南無大師遍照金剛と唱え、宝塔に参り、最後に納経。全てぎこちなく一生懸命に唱えた気がする。いろいろお願い事など。結構時間が経過する。30分くらいかかっていた。
一番 霊山寺 多宝塔
二番 極楽寺 本堂
お札と写経を納め、線香とろうそくをあげる。賽銭を上げて鈴を打ち鳴らす。正面を避け、左の端っこで、般若心経を読み上げる。
二番 極楽寺 大師堂

どこも本堂より小ぶりな作り。
本堂と同じ事を繰り返す。本堂では本尊真言を唱えるが大師堂では南無大師遍照金剛と3回唱える。
三番 金泉寺 

真新しく立派な山門
三番 金泉寺 本堂
このたび各お寺ごと本尊の真言を7回唱える。後日3回唱えるのが作法と判った。この度は最後まで全ての寺で7回お唱えしました!
こちらは
のうまくさんまんだぼだなんばく
のうまくさんまんだぼだなんばく
のうまくさんまんだぼだなんばく
のうまくさんまんだぼだなんばく
のうまくさんまんだぼだなんばく
のうまくさんまんだぼだなんばく
のうまくさんまんだぼだなんばく

長いのは舌がもつれる。
四番 大日寺 

前をゆっくり、ゆっくり脚を引いてあるく老人。妙にいい雰囲気でした。
四番 大日寺 本堂
四番 大日寺 大師堂

平日でどちらも閑散として納経もすぐ書いてもらえました。
五番 地蔵寺

 いちょうの大木
五番 地蔵寺 本堂
五番 地蔵寺 大師堂
六番 安楽寺 竜宮風の山門
六番 安楽寺 金堂 神社風
六番 安楽寺 大師堂

お四国の大師堂の標準的な形のように思います。正式な形式は知りませんが3間四方の屋根は寄棟方形先端にギボシがあります。階段の分の向拝があります。こじんまりしており、庶民的なお大師さまにふさわしい気が致します。
七番 十楽寺 こちらも竜宮風の山門
七番 十楽寺 本堂

和風の本堂ですが近年の建築で下層はテッキンコンクリート造
七番 十楽寺 大師堂
八番 熊谷寺

左右の提灯はこの旅の中であまり見かけなかった。 
八番 熊谷寺 本堂
八番 熊谷寺 大師堂

壇上の大師堂もめずらしい
九番 法輪寺 
たしか門前に茶店があってうどんを食べました。

が、歩き遍路の方だけお接待しますなどと書かれており??と思いました。
歩きへんろの方がありがたみが有るとの考え方かも知れないが歩きの方がお金も時間も数倍かかる。より贅沢ともいえるのだが。
九番 法輪寺 本堂
九番 法輪寺 大師堂

たくさんのお参りがあれば灯明箱にろうそくの火が一杯でやけどしそうになることもある。奥の方から立てて頂戴と書いてある。
十番 切幡寺 

朽ち果てようとしていますが時代を感じさせる山門です。ここから結構きつい坂が待っています。
十番 切幡寺 本堂
五つの色の幕が掛けてあった。
何かの法会があるのだろう。
五色幕という。
十番 切幡寺 大師堂 鐘楼

今回鐘は殆ど突かなかったがお参りの前に1回だけやさしく突くのがマナーのようだ。何かの理由で撞かないでくださいと書いてあるお寺もあった。

うるさいなどのクレーム。
鐘が老朽化している。
文化財として保護の為。
時の鐘として使用。
多宝塔からの眺望。東西に広がる吉野川平野。手前北側は典型的な扇状地が連続して広がる。

次の藤井寺は向かい側の山すそにあります。さらに焼山寺は雲に隠れています。春のれんげ畑を眺めながら、吉野川の中州や潜水橋を渡ったりゆっくり歩き遍路もいいだろうな。
切妻屋根の庫裏やその向こうには徳島自動車道も見える。
十一番 藤井寺 本堂

歩き遍路は本堂横の遍路道登山道から焼山寺へ向かいます。歩いて12.3Km5時間?ハイキングコースかな。でも鍋岩辺りで宿泊となるだろう。
十一番 藤井寺 大師堂

4時を過ぎ、次の焼山寺は明日にする。宿を神山温泉に予約。鴨島で食事を済ませ、石井町童学寺越えで6時過ぎに到着。いい温泉でした。真新しいビジネスホテル風の清潔な宿でした。朝食のみいただく  
 阿波の国 2日目  6月4日

遍路道で育った私
 私の生まれは阿波徳島。里の家は巡拝道からは川を隔てた、みかん山沿いにあります。奥の院へ行かれる方がよく通られる道です。昭和20年代子供の頃、托鉢をするお遍路が大変多く、小さな手でお米をあげたものです。子供の手は小さいからです。お遍路にまつわることについて、子供心にも大きな影響を与えたものでもあります。人さらいを遍路と結びつけたり、悪いことをしたりすると戒めに使ったり、実際に深編笠、黒装束で後ろにお堂を背負った修験者の姿には恐ろしくもありました。遍奴と呼ばれるような乞食同然の遍路もいました。また病気を持ち何らかの思いで巡拝する遍路。さまざまな動機がその一人びとりにあると思います。数日の間、橋の下で寝起きする遍路もたくさんいました。現代の世相を反映し、ダンボール箱のホームレス遍路が話題になったりしております。
神山温泉

早朝 食事なしで出発今日も良い天気。いい温泉に入って気分もすっきり。最初から贅沢をしました。焼山寺へは往復路となる。
十二番 焼山寺

終点の駐車場辺りから北の山を望遠。

歩きの場合は山の向こうの藤井寺からこの峠を超える。遍路ころがしと言われる難所。

藤井寺からのへんろ道は12.3Km6時間くらいか?2008年中に必ず歩くぞ!
追記2008も2009も行けなかった。。。。。。2010は?

追記2010も行けなかった今年こそ。
十二番 焼山寺 

ここまで登ると身震いをする。

6月というのに涼しいと言うより寒かった。
十二番 焼山寺山門 仁王様
十二番 焼山寺 本堂

2009年には本堂右側に大師堂が再建されている。
十二番 焼山寺

真新しい大師堂。立替のための臨時だそうです。
この日から毎日朝6時30分にはお寺に到着お参りを済ませ寺域を散策し、7時に納経所が開くのを待つ。同じ待っている人と話をする。
たいてい、どこから来たとか、歩きですかとか、どこで泊まったかとか、そんな話である。
十二番 焼山寺
杉の古木
山門を出て正面南方の山並み

平地まで下りて鮎喰川沿いを延々と走る。歩いたらこたえるだろうと思いつつも川のあゆ釣り人を眺めながら歩くのも退屈は無いかも知れない。車でチラッと見える石仏や小さなお堂は歩かなければ見えない。
杖杉庵

結構お参りがあるらしく灯明が数本燈っていた。

ここから次の大日寺まで車でも結構な距離がある。歩くのは大変だろうな。
十三番 大日寺

門前は往来の激しい県道です。相対して守護神社があります。
大日寺 本堂

住職は亡くなられ韓国人の奥様が住職になられた。

次の世代に守り継ぐ事の大事さ難しさを感じます。韓国舞踊の著名人だそうで、練習所まで新設されたとのこと。
大日寺 大師堂

四国八十八ケ寺の大師堂の標準的な規模です。大きい建物ものは善通寺。御影堂と呼ばれます。

大師堂は空海だけではな智証大師、慈恵大師、などを祀る堂で大師堂と称するものもあリます。
十四番 常楽寺 

石の門の手前の石柱にある坂東姓は意外と吉野川流域にたくさんおられます。で私は四国三郎ではなく坂東太郎が吉野川だと思っていました。お恥ずかしいですが。お笑い?で有名な坂東さんも吉野川流域です。ハムのお友達で坂東太郎さんも近在に実在しておられました。(なくなられましたが)
十四番 常楽寺 本堂 大師堂

庭は岩石むき出し、大変珍しいと思います。足が悪い人やお年寄りは大変だろうな。寺社には古木が多い。これを訪ねるだけでも巡拝の価値はある。
次に行くときはしっかり下調べをしていかないと。後から見落としがある
十五番 国分寺
 
山号の医王山は間違いなく本尊はお薬師さんだ!
十五番 国分寺 本堂

この辺りは国府町のことをコウと言うが国府町はコクフチョウと読む。古代阿波の国の中心、国府があったところ。それを思い地名風景を見るのも昔日が偲ばれる。
全国あちこちに国分寺があるが現在の平地より少しだけ標高がある。
十五番 国分寺 大師堂 
十六番 観音寺 本堂
十六番 観音寺 大師堂
十七番 井戸寺 
十七番 井戸寺 本堂

納経をする。納経とはどういう意味を持つのか、いまだに自分は、はっきり理解出来ていない。
本堂でお経を読み上げるだけでも納経といえるのか。写経を納めるのが納経というのか、納経所で納経お願いしますと言って納経帳を差し出すが、その一連の事を言うのか?

宮島に平家納経という国宝の経本がある。”経を納める読んで字の如く”

まあどうでもいいか。
十七番 井戸寺 大師堂
十七番 井戸寺 手水
十七番 井戸寺 

井戸
十八番 恩山寺

昔はこの地まで水際だったのだろうか?
徳島には勝浦や祖谷にも平家、源氏の落人伝説がある。
十八番 恩山寺

高校時代自転車通学の途中寄り道した記憶がよみがえってきた。
十八番 恩山寺

納経の話の続きだが納経所で”納経お願いします”などといいますが、正式な物言いがあるはずと思うのですが、正式に話すと長くなると思う。だったら”御朱印お願いします”。でも良い。と思うが、ただ”お願いします”と言ったりもした。でもやっぱり”納経お願いします”が一番多かった気がする。
十八番 恩山寺 大師堂
十九番 立江寺 

山門の左右には門前町があり大変栄えていた。大きな商家もあり、戦後40年頃までは近隣からの買い物客でにぎやかだった。
門前のお店で賽銭を両替していただいた。すぐに1円や5円の束をたくさん用意されていたのにはびっくりした。
十九番 立江寺 本堂

戦後になって消失したが立派に立て替えられている。

立江地蔵として近隣のみならず兵庫県播磨町に立江地蔵の信仰があるのを見て驚いた。

私が子供の頃、暮に近い祭りに来たのを覚えている。近在では立江地蔵として親しまれています。
十九番 立江寺 大師堂

今日は親戚三軒に立ち寄った為七ケ寺だけ、久しぶりに勝浦郡の里に泊らせて戴く。
 阿波から土佐の国へ 3日目  6月5日
昭和59年弘法大師1150年御遠忌記念の年。
 弘法大師1150年御遠忌記念でブームとなったとき、三十五ケ寺を妻子と回りました。その後、転勤で四国から出てしまい、途切れたままになっていました。ずっとそのことが気になっており、定年退職になった年に改めてお参りすることにしたのです。本来はやはり時間をかけ、歩きたいのですが、既にたばこの吸い過ぎでCOPDになっており、車で9日間かけて回りました。

 いつか死ぬまでに歩き遍路はしたいと、近隣ウォーキングで疑似遍路をしております。歩き遍路が一番の贅沢というか費用と体力、時間がかかるのはわかっています。それを考えるとちょっと頭が痛いのですが、数ケ寺の体験コースからでもはじめたいと思うのであります。 恩山寺から鶴山寺のコースは車も少ないし、ひなびた景色も良い。

6時に里を出発。

勝浦町生名の大銀杏。子供の頃巨大と思っていたが今見るとそれ程でもない。

たぶん落雷などで上部が枯れたのでは?

今はバイパスが北側に開通しここも道路が少し拡幅されている。バスが昔はぎりぎりすり抜けていたように思う。

子どもの頃、横瀬にあった勝浦町立病院の耳鼻科に通院した記憶がよみがえってきた。
今山の大銀杏

ついでの画像です。勝浦町今山。気根がすごいでしょう! 

銀杏は全国どこでもありますがここの気根はでかい。

観音庵があり、
参拝すると初乳が良く出るそうです。

いまでも銀杏がたくさん実る。

近くに地神さんがあり巨大な松があったが今はない。

でも昔と違い根の廻りがコンクリートで固められている。ちょっと悲しくなる。

新今山橋を渡って突き当たり左折すると左方に見えてきます。
二十番 鶴林寺 山門

生名の集落から400メートルほど登ります。歩きへんろさんも結構きついはずです。子供の頃歩いて登りました。
二十番 鶴林寺 大師堂
二十番 鶴林寺 納経所

本堂は右側。朝早かったのでうろうろしていたら住職から声をかけていただきました。
 どこから来た?どこ行く?出身は?御蔭で地元出身であることを白状してしまいました。

車だと神峰寺まではいけるよって教えてくれました。(結果その通りになりました)

昔、モービルHAMをこのお山でやってていて、声をかけられた(叱られた)のは先代かな?
二十番 鶴林寺 本堂 大子堂

朝のお勤めが終わったところでした。
本堂は階段を登ったところにあります。撮り忘れたのか画像が見当たりませんでした。
二十番 鶴林寺 重文の三重塔

阿波の国と伊予には五重塔がないがここの三重の塔は組み物で張り出した深い軒の屋根その曲線が見事である。

本来は仏舎利塔というそうでお釈迦様の墓、ビルマのパコダも同じ意味だ。
二十番 鶴林寺 

杉の古木。子供の頃来た時はもっとたくさんあったような?

掃き清められた砂の庭。
清々しい雰囲気がただよう。

ここに住むだけで厳しい修行の様な気がする。
二十番 鶴林寺 

南方方向の山並み。一旦下って那賀川の十八女橋(さかり)を渡り大龍寺へ
二十一番 大龍寺 山門

ロープウェイで登らず、昔登った事がある、あまり使われなくなった東側の山道を登りました。

駐車場から2キロ、20分くらいさらに歩いて登らねばなりません。正装して。

ちょっときつかったです。途中お大師様が修行をされた岩場があります。

こちらの山門はロープウェイからは遠くなりますので見られる方は少ない。
二十一番 大龍寺 

もうひとつの鐘楼門、中門

軒が深く、屋根が異様に大きい。

このような山上伽藍では台風時などの災害を考えたら大丈夫かと心配する。

いつ建てられたかは知らないが長い年月をよく耐えて来たもんだと感心する。
二十一番 大龍寺 大師堂

山上伽藍は、

高野山を思わせる荘厳な雰囲気
二十一番 大龍寺

護摩堂
二十一番 大龍寺 多宝塔

高野山根本大塔と似る

彩色があれば。
二十一番 大龍寺

境内はミニ高野山の雰囲気。

西の高野山と呼ばれている
二十二番 平等寺 山門

のどかな田園風景にたたずむ。
二十二番 平等寺 本堂

素朴な田舎屋のような二重屋根
二十二番 平等寺 大師堂

庭には阿波の青石を使ってある。
二十三番 薬王寺 山門
二十三番 薬王寺 本堂
二十三番 薬王寺 大師堂
二十三番 薬王寺 

上段に見える鮮やかな色彩の塔は戦後立てられたように記憶しているが日和佐の町から良く見え、町のシンボルとなっている。

徳島県の初詣初参りは鳴門市の大麻神社、日和佐町の薬王寺、毎年どちらかに行く人が多い。

もちろん両方行く人も多いと思う。私も?年前の厄年に参拝した。歳の数だけ一円玉をひとつずつ、石段にまいていく。一方通行の男坂を。
日和佐町道の駅

ちょっと早いが昼の休憩。薬王寺前の国道に道の駅が出来ていた。

無料足湯がある。

疲れた足が蘇る

追記
現、美波町。連続テレビ小説 ウェルかめの舞台です。薬王寺や海亀などが出てくるし、阿波弁丸出し。なつかしさでいっぱい。

徳島を舞台とした朝ドラはなっちゃんの写真館以来かな?

なつかしい鰺の姿寿司をいただきます。とまともかじる。
牟岐町、海南町を抜けさらにいくとこのような風景。

ここから先は土佐の国室戸まで延々と左に太平洋を眺めながら続く道。

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